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遙かな歴史の中で残された、先人たちの思いが伝わる
貴重な文化遺産の数々・・・・・・・



参道に沿って、主な建物を列挙すると、大門・不動堂・羅かん堂・御池坊・童男堂・念仏堂・中門・地蔵堂・丈六堂・本堂・鐘楼・千手堂・行者堂。
この中で大門と童男堂および本堂は県指定の文化財、庭園は桃山時代の作で国の名勝に指定されている。
◆粉河寺本堂
粉河寺は光仁天皇の宝亀元年(770)に鎌垣荘の大伴孔子古(おおとものくしこ)のによって創建された。平安時代に入り、霊場巡拝ブームにのって、貴族等の間で「聖の住所」として信仰され、一躍名声を確定した。武士の時代でも観音霊験への信仰厚く衆庶の寺として隆盛を極めた。西国三十三所第三番の札所であって、第一番那智の青岸渡寺、第二番の紀三井寺とともに紀州三大霊場の名刹である。
◆粉河寺中門
大門・本堂の雄大さに比べると、実に優美である。天保3年(1832)の再建で四天王(持国天・増長天・広目天・多門天)をまつり、十代藩主徳川治宝の真筆「風猛山」の扁額がある。
◆童男堂(和歌山県指定文化財)
本尊千手観音が人々を救うため世に出られた際のお姿即ち童男大士を安置したお堂で、一名日暮らし堂ともいう。延宝7年(1679)の建立で、正堂と礼堂は全く別の建物であり、それを合体させて造られたものである。
◆粉河寺縁起絵巻(国宝)
国宝・紙本着色・縦30.8cm、全長19.58m、天正の兵火により巻初部と上下部に、痛ましい損傷がある。内容は観音出現の話と、河内の長者の話とが、5段に分けて描かれている。信貴山縁起絵巻と比べられる逸品で、製作は12世紀頃という。
◆粉河寺盥漱盤
(粉河町指定文化財)

蜂屋正勝作